大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和40年(ネ)1502号 判決 1966年12月23日

控訴人(原告) 金澄子

右訴訟代理人弁護士 野口敬一郎

被控訴人(被告) 大東京信用組合

右訴訟代理人弁護士 河和松雄

同 松代隆

同 平野智嘉義

同 石井芳光

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取消す。被控訴人は控訴人に対し金三九〇万円を支払え。訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする」。との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張並びに証拠の関係は、左に附加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

(陳述)

一、被控訴代理人の陳述

1、被控訴人が昭和三九年五月一二日到達の内容証明郵便をもって、訴外有限会社協商、波多野敏子及び控訴人に対してなした、本件定期預金の元金を被控訴人主張の右協商に対する貸金債権の弁済にあてる旨の意思表示が効力を生じなかったとしても、被控訴人は、協商及び波多野敏子に対しては昭和四〇年七月一八日到達の内容証明郵便をもって、控訴人に対しては同一九日到達の内容証明郵便をもって、本件定期預金の元金及び利息全部を被控訴人主張の協商に対する貸金債権の元金及び損害金の弁済に充当する旨の意思表示をなした。

よって、本件定期預金債権は消滅したものである。

2、控訴人は、本件担保差入契約は債権質設定契約であると主張するが右契約が債権設定契約でなく、一の無名契約であることは、次に述べるとおりである。

(一) 被控訴人は金融業を営むものであって、その職員は質権等についてある程度の法律知識を有するものであり、質権設定契約であるならば質権設定の文字をはっきり使用すべきであるのに契約書にかかる文字を全く使用していないことは、右契約が質権設定契約でないことを示すものである。

(二) 質権の設定であれば、被担保債権の履行がなかった場合に質権者は質権の目的たる債権の取立権を取得するのみであり、債権の弁済期にその支払を求め得るだけであるが、本件定期預金の契約によれば、預金の弁済期到来前でも預金の元利金を債務の弁済に充当し得るとされており、質権設定契約とは明らかに異る。

(三) 被控訴人の従来の取扱では、本件のように預金に対する担保権を行使する場合には、すべて被担保債権の債務者及び担保提供者たる預金者宛に被担保債権と預金債権とを相殺する旨の内容証明郵便を発信するものとされており、右事実も、本件担保差入契約が質権設定契約ではなく、相殺予約に類する無名契約であることを示すものである。

(四) 本件担保提供者たる波多野敏子の預金証書が被控訴人に交付されているのは、質権設定契約の要物性をみたすためではなく、担保提供者に預金証書を持たせておくと、預金債権を他に譲渡又は質入する等のことが起り、複雑な法律関係を生ずる虞があるので、これを防ぐためである。

二、控訴代理人の陳述

1、訴外波多野敏子こと呉錦順が昭和三九年三月三〇日訴外有限会社協商の被控訴人に対する債務を担保する目的で被控訴人と締結した本件定期預金債権の担保差入に関する契約が債権質設定契約であることは、次の点から明らかである。

(一) 被控訴人は、右担保差入れ契約に際し、民法第三六三条の権利質権設定契約の要物性の要件を充たすため、訴外呉錦順から本件定期預金証書の交付を受けた。

(二) 同訴外人の被控訴人に対する定期預金証書の交付は、質権者に対する質入債権の取立権の授与の表徴としての意義と、質権設定者から質入債権の利用を剥奪する点において質物そのものを引渡したに近い効力とを有するものである。

(三) 本件定期預金債権は訴外協商に対する被控訴人の貸付金債権の担保として訴外呉錦順が差入れたものであるため、同訴外人と被控訴人の間で訴外協商の被控訴人に対する債務が完済されるまで、訴外呉錦順は被控訴人に対し本件定期預金債権の返還請求をすることができない旨の合意がなされた。

(四) 被控訴人と訴外呉錦順との間で質入債権の弁済充当に関する特別の合意がなされた。

(五) 銀行が自行の定期預金払戻請求権の上に質権を設定して、預金者に金融を与えることは現在においては極く普通の事例である。

(六) 債権を担保に差入れるとは、債権そのものの上に担保権を設定することで、法律的には権利質の設定と見るべきである。

2、仮りに、本件定期預金を担保に供する契約が債権質権設定契約でなく、相殺契約の予約であったとしても、

(一) 相殺の予約に基いて或る瞬間に相殺適状を人為的に作り出して行う相殺は、相殺の意思表示がなされた時に始めて相殺の効力が発生するものであるから、被控訴人は、控訴人の差押並びに転付命令送達後になされた、右予約に基く相殺の意思表示をもって、控訴人に対抗することはできない。

(二) 仮りに控訴人の相殺に関する右主張が理由がないとしても、被控訴人は、訴外協商の被控訴人に対する手形貸付による貸付金債務の支払いを確保するため、同訴外会社から(イ)金額、三九〇万円、(ロ)支払期日、昭和三九年五月一七日、(ハ)支払地、東京都荒川区、(ニ)支払場所、大東京信用組合日暮里支店、(ホ)振出地、東京都台東区、(ヘ)振出日昭和三九年五月七日、(ト)受取人大東京信用組合なる約束手形一通の振出交付を受けたのであるから、同訴外会社に対する右貸付金を自働債権として相殺を為すには、右約束手形を同訴外会社に交付してなすことを要するのにかかわらず、被控訴人は右約束手形を同訴外会社に交付することなくして右貸付金と訴外呉錦順の本件定期預金債権との相殺を為したのであるから、右相殺はその効力を生じない。

(証拠)<省略>

理由

一、成立に争がない甲第一号証によると、控訴人が控訴人を債権者、訴外呉錦順を債務者とする債権額金八三〇万円の公証人上田次郎作成昭和三九年第八六号準消費貸借契約公正証書の執行力ある正本を有することを認めることができる。しかして波多野敏子と称する者が被控訴人に対して満期昭和四〇年三月一二日金額二〇〇万円及び満期昭和四〇年三月一六日金額一九〇万円合計金三九〇万円の定期預金債権を有し、控訴人が右準消費貸借契約公正証書の執行力ある正本に基き、右定期預金債権について東京地方裁判所に対し債権差押及び転付命令を申請した結果(同裁判所昭和三九年(ワ)第一〇四〇号)その旨の命令が発せられ、該命令はそれぞれ控訴人主張の日に債務者呉錦順及び第三債務者たる被控訴人に送達せられた事実は被控訴人の認めるところであり、原審証人金東植の証言によれば、呉錦順と波多野敏子とは同一人であることが認められる。従って、控訴人主張の請求原因事実(ただし、債権差押及び転付命令申請の日時を除く)は、すべてこれを肯認することができる。

二、そこで、被控訴人の抗弁について判断する。

1、成立に争がない乙第三号証、同第四号証及び原審証人小南州弘の証言を綜合すると、昭和三九年三月三〇日被控訴人は訴外有限会社協商と当座貸越、手形割引、手形貸付等の継続的取引契約を締結し、同日被控訴人は右取引契約に基き協商に対し金三九〇万円を弁済期昭和三九年五月七日利息日歩二銭、損害金日歩七銭として貸渡した(なお、昭和三九年五月七日被控訴人は訴外協商に対し右債権の弁済期を同年同月一七日まで猶予した)ことを認めることができる。

2、次にいずれも成立に争のない乙第三号証、同第五号証の各記載並びに原審証人小南州弘の証言によれば、昭和三九年三月三〇日波多野敏子こと呉錦順は、既述の被控訴人に対する元本金三九〇万円の定期預金債権を訴外協商の被控訴人に対する前記債務の担保として被控訴人に提供することとし、同日被控訴人と訴外協商及び呉錦順の三者間において、協商の被控訴人に対する債務の完済されるまでは、呉錦順において右預金の返還を請求しないこと、すなわち定期預金を継続することを約し、協商がその債務の履行を怠ったときは、被控訴人において訴外協商及び呉錦順に対する一方的意思表示により、右預金債権の元利金をもって協商に対する債権の弁済に充当することができる旨の合意が成立したことを認めることができる。(前掲乙第五号証(担保差入証)には「債務者が<省略>期限の利益を喪失したときは<省略>前記貯金の元利金をもって債務の弁済に充当されても差支えない」旨の記載があるけれども、債務者において期限の利益を失った場合だけに限らず、期限の利益を失うことなく、本来の期限が到来し、遅滞に陥った場合にも、当然貸主たる被控訴人において右約定に基く権利を行使し決済をなし得る趣旨であると解するのが相当である。)

右の契約は、被控訴人に対し、その一方的意思表示によって被控訴人の訴外協商に対する債権と呉錦順の被控訴人に対する債権とを金銭の授受を省略して決済する権利を与えたもので、相殺の予約ということができる。そして被控訴人は右特約に基き協商に対する貸付金債権の完済せられるまでその見返である呉錦順の前記預金を継続し、右貸付金債権と定期預金との相殺による決済をなし得る正当な期待を有したものというべく、この期待は当事者のこの点に関する信頼を保護しようとする相殺制度の目的からいって、右預金債権の差押によって奪わるべきものではないと解せられるので、被控訴人は右差押にかかわらず、前記約定に基く権利の行使により、その債務の決済をすることを妨げられないというべきである。そして、右の約定は、右債権に対する転付命令の被控訴人への送達(昭和三九年五月七日であることは当事者間に争がない)前になされたものであるから、被控訴人は、右転付命令により本件預金債権を取得した控訴人に相殺をもって対抗しうるものというべきである。

3、そして訴外呉錦順の被控訴人に対する定期預金債権(相殺における受働債権に該当する)の弁済期は昭和四〇年三月一二日及び同月一六日であり、他方被控訴人の訴外協商に対する貸付金債権(自働債権に該当する)の弁済期は猶予せられて昭和三九年五月一七日となったことは前記のとおりであり、成立に争がない乙第七乃至第九号証の各一、二によれば、被控訴人は、協商及び波多野敏子に対しては昭和四〇年七月一八日到達の内容証明郵便をもって、控訴人に対しては同月一九日到達の内容証明郵便をもって、本件定期預金の元金及び利息全部を被控訴人主張の協商に対する貸付金債権の元金及び損害金の弁済に充当する旨の意思表示をしたことを認めることができ、右意思表示は前認定の相殺の予約に基く権利を行使して決済をなす趣旨と解することができる。従って被控訴人がなした右予約完結の意思表示により、本件預金債権は消滅したものといわなければならない。なお、右意思表示は、被控訴人主張の協商に対する貸付金債権自体と、呉錦順の被控訴人に対する預金債権とを相殺する趣旨のものであること前記のとおりであるから、右意思表示は右貸付金債務の支払のため振出された手形(乙第四号証)を呈示して行うことを要しないものであることは論をまたない。

また、控訴人は仮に被控訴人主張の契約が成立したとしても本件預金債権の担保差入は質権の設定と解すべきところこれについて民法第三六四条に定める対抗要件を具備していないから、被控訴人に対抗することはできないと主張するが、被控訴人主張の本件定期預金の担保差入に関する前記特約は控訴人主張のように質権設定契約と解さなければならない理由はなく相殺の予約と解すべきことは前記認定のとおりであるから、右特約が質権設定契約であることを前提とする控訴人の右主張は採用できない。

三、よって控訴人の本訴請求はこれを棄却すべきところ、右と同趣旨に出でた原判決は相当であり、本件控訴は理由がないから、これを棄却すべきものとし、<以下省略>。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例